「心理的安全性」という言葉の裏側で。研修の事例に私が「本音」を書かなかった理由

今日の仕事は、驚くほど穏やかでした。 特に精神的な疲労感もなく、スッと一日が終わる。そんな日を振り返って思うのは、仕事のしんどさを決めるのは業務量ではなく、結局のところ「メンバー」なのだということです。

「言いたいことが言える」 「頼みたい時に、素直に頼める」

そんな当たり前のようでいて難しい関係性が、どれほど仕事のパフォーマンスと心の安定に直結するかを痛感します。

組織が掲げる「理想」への違和感

一方で、最近の組織運営でよく耳にする「心理的安全性」という言葉には、少し複雑な思いを抱いています。

先日、ある研修に参加しました。 そこで「日頃の悩み事の事例」を提出する機会があったのですが、私はあえて「当たり障りのない事例」を選んで提出しました。本当に悩んでいること、本当に組織に言いたいことは、その場では出せなかったのです。

その後、研修担当者たちの話し合いを耳にする機会がありました。 「みんなしっかり悩みを提出してくれた。言いたいことが言える、心理的安全性の高い組織が作れているね」

その言葉を聞いた瞬間、胸の中に小さなトゲが刺さるような感覚がありました。

見えているものが、全てではない

もちろん、他の参加者は本音を書いていたのかもしれません。 けれど、少なくとも私は「気を遣って」事例を選びました。目の前にいる参加者が、評価や空気を読み、フィルターを通した情報を出している可能性に、上層部はどれだけ気づいているのでしょうか。

「みんなが意見を出している=心理的安全性が高い」 という解釈は、あまりに短絡的です。本当に深刻な悩みほど、そうした場には出てこない。それこそが、現場のリアルな防衛本能だからです。

「言いたいことが言える人」へ

上に立つ人ほど、見えていないことが多い。 そして、見えていないことに気づくのは、もっと難しい。

私は、せめて自分だけは、部下やメンバーが「気を遣った発言」をしている可能性に想像力を働かせられる人間でありたい。そして、自分自身も、いつか「本当に言いたいこと」を適切な場所で、勇気を持って言える人になりたい。

表面上の「心理的安全性」という言葉に安心するのではなく、泥臭い信頼関係を一つずつ積み上げていくこと。

そんなことを考えながら、また明日からの仕事に向き合おうと思います。 まずは、言いたいことを言ってくれる人を否定しない、そんな小さな一歩から。

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